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執筆者の写真冨田勘五郎

~武田家ゆかりの地を求めて~・甲府市右左口町、その一

更新日:2023年3月23日

さて皆の衆、早速であるがタイトルの町名が正しく読めたで御座ろうか?

「うさぐち?」

「ゆうさぐち?」


正しくは「うばぐち」と読むので御座る。



甲府市中心部からはだいぶ南に位置し、【夜景100選】、【温泉総選挙2019絶景部門1位】にも選ばれた市川三郷町のみたまの湯にもほど近い町で御座る。

この地はかつて、甲斐の甲府と駿河国(静岡県)を結ぶ最短ルートとして、宿場町として栄えた地と言われておりまする。


更に平安時代末期にまで遡ると、我らが『おもてなし』をさせて頂いている甲州市放光寺を建立した、甲斐源氏安田義定公とその兄弟武田信義公(初めて武田姓を名乗った)が富士川の戦いの折に軍勢を率いて通ったとも伝えられておりまする。



今も宿場町としての面影を残す右左口町の街並み。

甲斐国では中道往還と呼ばれ、駿河街道と若彦路の中間に位置する事から中道を呼ばれるようになったそうに御座る。

駿河側からは、甲駿街道、甲州街道とも呼ばれるようで御座る。


この街道を通って駿河湾の新鮮な海産物が甲斐国、甲府へ運ばれたように御座りまする。

山梨県民が大好きな「マグロ」もかつては数えきれないほど、この街道を通ったので御座りましょうな!


右左口町の近くには銚子塚古墳もあり今年一月にCIH地方創生合同取材でも訪れた市川三郷町にも近く、マンホールには土器の模様が描かれておりまする。



案内図を参考に、我らは近くの御左口神社へも行って参った。



この神社は、珊瑚珠姫さまを祀った神社で農業、養蚕をこの地に伝えたと言われて、農業の神様として信仰されているようで御座る。

二代目の天皇、綏靖天皇(すいぜい)の時代からの伝承のようで御座る。

また、右左口(うばぐち)と言う地名の由来も、こちらの神社を御左口(うおさぐち)さんと呼んでいたのが訛って現在の右左口になったのではなかろうかとも言われているようで御座る。





石造りのお社の横にはしっかりと天皇家を示す「菊の紋」が入っておりましたぞ。


正に知られざる「パワースポット」と言っても良いのではなかろうか!?


さて、今回の右左口町は2週に分けてご紹介致しまするぞ!

是非、次週もご覧頂けますようお願い申し上げまする。



冨田勘五郎 記す





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